引きこもり支援業者の横暴が放置されてる世の中って異常じゃね?
僕はニートや引きこもりに対して怒りや敵意を抱いたことがない。
社会のレールに乗っていた時期から今に至るまで一貫してそうだ。
軽蔑すらしなかった。
もちろん、同属をわざわざ攻撃したくないという心理も働いている。
自分がニートや引きこもり側の人間であることは学生時代から察していた。
だが、なによりも彼らに割を食わされている実感が全く抱けなかったことが根っこにある。
「本人の自由なんだからいいじゃん」
それが嘘偽らざる本音だった。
ある意味、寛大とも言える僕のこの態度は地獄のサラリーマン生活においても揺るがなかった。
考えてみれば当然だ。
ニートや引きこもりが労働の土俵から降りていることと、僕が会社でストレスを受けていることのあいだになんら因果関係はない。
同年代の社会人がニートに憤るのが不思議でならなかった。
そして、社会人でありながらニートに対して肯定的なスタンスを取り続ける僕は時に不気味がられ、怒りの矛先を向けられた。
「なんでも自由なわけじゃねえぞ。勤労の義務を放棄してるニートは憲法違反だ」
「いや、憲法は国家権力を縛るもんだからニートには関係ねえぞ」
「そんなん聞いたことねえよバカ」
"バカ"の一言で切って捨てられ呆然としたことをよく覚えている。
書籍を通じて僕に憲法の手ほどきをしてくれた小室直樹は間違っていたというのか。
反ニートの彼らはより良い社会を実現させるためにあえて事実を無視したのだろうか。
そんなふうに僕は混乱してしまったのだ。
今にしてみれば見当違いも甚だしい。
反ニート思想の源泉は拍子抜けするほど単純。
"あいつら気に食わねえ"
これだけ。
憲法がどうとか、社会不安がどうとかは全部後付けだ。
そして、ニートへの口撃を彼らが始めるきっかけはもっと単純。
満員電車で足を踏まれた、昇進が遅れた、小便が足にかかった……もはや理屈ではない。
「社会参加は絶対的な善。反ニートは正義」
こんなおっかない大前提がいつの間にかでっち上げられてしまっているのだ。
"本人の自由なんだからいいじゃん"の合理性ををまだ潰せていないのにもかかわらず。
引きこもり支援業者なるものがあるらしい。
親の依頼を受けた業者が引きこもりを家から無理やり連れだし、望まぬ労働を強いるので問題になっているという。
その乱暴な手口が違法かどうかはひとまず脇に置くとしよう。
僕がマズいと思うのは、そういう支援業者が引きこもりを家から叩き出し働かせることしか目指していないという点だ。
現在、日本には100万人以上の引きこもりがいる。
心身の状態や能力を鑑みて、その時点では「ひとまず働かない」ことが最善の手となる人間だっているはずなのだ。
それにもかかわらず、有無を言わさずの強制連行からの強制労働。
もはや、自立支援は単なる建前で引きこもりへの人権侵害を原動力に商売しているとしか思えない。
そして、そんなメチャクチャを許しているのは「社会参加は絶対的な善。反ニートは正義」というハチャメチャな大前提ではないだろうか。
この大前提が世の中から消えない限り、自立支援業者が社会的制裁を受ける日はこないだろうと暗い気持ちになる。
ここからは余談。
そんな業者に数百万円も払うならタクシー会社勧めたほうが絶対いいよ。
金払うどころか入社支度金数十万円もらえるし。
日当貰いながら研修受けて二種免許取らせてもらえるし。
なによりニートや引きこもりに向いてる仕事だし。