LIFE LOG(ここにはあなたのブログ名)

タクシーで社会復帰できた元高齢ニートのブログ

首吊り10秒前くらいのギリギリのところですんなり社会復帰できました。

タクシー運転手という仕事でストレスを溜めるのは難しい

その夜、僕は意気揚々と営業所へ帰還した。
総営収56,000円(税込)。
タクシーメーターには"東京タワー → 日光"の片道運賃と同じくらいの売上が記録されている。


我ながら驚異的だと思った。
営業したのはタクシー需要が少ない午前8時~午後6時にかけての10時間。
しかも、超長距離客に一度も遭遇せずにこの数字を叩き出した。
これがどれほど稀有で困難か……野球で例えるなら4打数4本塁打くらいの離れ業だろう。


僕が有頂天になるのも無理はない。

お前は途轍もないことをやってのけたぞ。
入社3カ月のド新人がやってのけたんだぞ。

頭の中ではもう一人の自分がそんなふうにはしゃいでいた。


僕は車を降りるなり喫煙所を目指した。
この快挙を誰かに言いたくてたまらなかった。
お客さんが少なくなる時間だけあって、灰皿の周りにはすでに人の輪ができている。

「おう、今日どうだった」

予想通り、いや、期待通りの挨拶が同僚ドライバーから飛んできたので思わず頬が緩みそうになった。

「忙しかったですねえ」

「どんくらいやったの? 俺28,000だ」

僕はなるべく平静を装いながら答えた。

「56,000っす」

一気に場が静まり返った。
全員タバコを吸う手を止め、こちらにサッと目を向けた。

「5万!? 5万やったのか⁉」

喫煙所は蜂の巣をつついたような大騒ぎになった。
四方八方から矢継ぎ早に質問が飛んでくる。
僕はそれらに答えながら、なろう小説かよと内心でツッコミを入れた。
これほど気持ちが良かったことはない。


やはり、日中だけで5万円台を売り上げることは極めて稀なことらしく、皆は驚嘆し、手放しで僕を称えた。
仕事で抜きんでた成果を上げたのは生まれて初めてのことだったのでとにかく嬉しかった。
コピーして持ち帰った営業日報を何十分も眺め続けて眠りについたほどだ。


だが、その喜びも翌朝には全て消え去った。


総営収0円。
出庫時のタクシーメーターが活躍の余韻を容赦なく断ち切る。
どの運転手にも平等に訪れるゼロからのスタートだ。
まるで、セーブし損なったゲームを再び起動したかのようにふりだしに戻されてしまう。
前日にどれだけ売り上げていようが関係ない。


タクシー運転手という仕事は断続的だと僕は常々思っている。
タスクが完結するまでのスパンが非常に短いからだ。

お客さんを目的地に送り届けるまでに要する時間は平均して10分程度だろう。
この細かい業務遂行を10回、20回と積み重ねて一日の仕事が完結する。
その一日の仕事を20回、21回と積み重ねて一カ月の仕事が……。

ひたすらこれを繰り返すだけ。


確かに、サラリーマンの仕事も断続的であると言えなくはない。
たとえば、客先との関係が10年は続く長期融資であったとしても、銀行員はヒアリング、与信判断、稟議書作成などの業務を積み重ねていく(よね?)。

編集者だって同じだろう。
会議、企画立案、発注、取材……分解すればやはりいくつもの完結したタスクがあるはずだ。


ただ、それでもタクシー運転手とは決定的に違う点がある。
それは"利害関係の解消"だ。

タクシー運転手の場合、最下部にあたる業務が完了すると同時にお客さんとの関係も消滅する。
清算を済まし車から降りられた時点でお客さんとはもうそれっきりだ。
「あの運転手は最近俺のところに全然顔を出さない」などとむくれる利用者などいないだろう。
この仕事には引継ぎも年始挨拶も存在しない。


この特殊性によるメリットは大きい。
特にメンタル面で良い影響を与えてくれる。

たとえ後部座席から酔っ払いに暴言を浴びせられようが、到着しさえすれば全ては完結する。
たとえ道を間違えようが、そのミスを次に乗ってくるお客さんが難詰してくることはない。

断続、それはリセットの繰り返しでもあるのだ。

ネガティブな出来事がすかさず過去となるのだから、ストレスを溜めずにいられる。
軟弱な僕がこの仕事を気楽に続けていられるのは断続性のおかげだろう。
憂鬱とは一切合切無縁だ。


思えば、サラリーマン時代は"利害関係の解消"がとにかく困難だったように感じる。
取引先とは長く付き合い続けるのが当たり前だったし、その間も色々なフォローが必要だった。
なにより、社内の人間も利害関係の輪に組み込まれているのが辛かった。
必ず同僚や上司と協同して仕事に取り組むからだ。

個人の成果やミスが身内にも影響を与える以上、どんな出来事もなかなか過去になってくれない。
背広を着ているあいだは常に閻魔帳をつけられているような気分だった。
皆、有能と無能の類別に躍起になり、社内ではカースト制度のようなものが出来上がっていた。
これでは日曜夜に胃が痛んだり、心臓が暴れだしたりしたのも当然だと今になって思う。


タクシー運転手のあいだには能力に応じた上下関係が存在しない。
壊滅的に腕が悪いドライバーがいようが、周りがとばっちりを受けるなんてことはないからだ。
その逆もしかり。
エース級のドライバーが営収最下位の同僚に説教しようものなら、周囲から単なる無礼者と見做されてしまうことだろう。

能力が後ろ盾となるのは給料、ただそれだけなのだ。
立場や発言力にはなんらの影響も与えない。


実に進歩的だと思う。
同時に、売上を周りに誇って得意になっていた自分が恥ずかしい。
この健全な風土にそぐわぬ振る舞いだったと今は反省している
良いことも悪いことも綺麗さっぱり過去になる世界なのだから。