サラリーマンのコミュニケーションを取られるとギョッとするし懐かしくもなる
「昼勤の方ですか?」
隣には精悍な面構えの男性。
早朝でまだ頭がぼんやりしていたので、話しかけられるまでその存在に気が付かなかった。
知らない顔だ。
歳は僕より一回りは上だろう。
「随分お若いですよねえ。あ~、やっぱりそうですかあ。いいなあ、お客様に喜ばれるでしょう」
ギョロっとした目が僕を捉えて離さない。
一見友好的な態度とは裏腹に、相手を値踏みするような張り付いた笑みを浮かべ続けている。
「一日どのくらい売りあげるんですか? えっ、凄いじゃないですか‼ 若いのに立派だなあ」
私なんかじゃ敵いっこないや、そうため息をついて頭を振ってみせる。
僕は強烈な違和感を覚えた。
人工的な笑顔、軽薄なヨイショ、大袈裟な仕草……なるべく本心を隠しながら相手が何者であるかを探ろうとする意図を感じ取った。
世慣れした社会人に特有の習性だ。
つい最近までカタギの世界で生きていたことがはっきりと分かる。
まったくもってタクシー運転手らしくない。
新人だろうなと思った。
同時にそうした立ち回りに懐かしさを覚えた。
なぜなら僕も短期間ながらサラリーマンの世界に身を置いた過去があるからだ。
あのとき仕事で関わり合った人々は例外なく演劇性を備えていた。
同僚から取引先の担当者にいたるまで、皆、本心や素の口調を封じ込めていた。
裏を返せば、その隠ぺいを徹底できないようではサラリーマン失格ということなのだろう。
そして、僕は絶望的なほど演劇性を欠いていた。
youtuberのような抑揚での挨拶も、身振り手振りを交えたアニメ的なリアクションもできなかった。
僕は隠ぺいに必携の武器を何一つ持たずに仕事に臨んでいたのだ。
やはり会社では浮いた存在だった。
こうした丸腰の立ち振る舞いについて一度だけはっきりと注意されたことがある。
同じ部署の課長と先輩と僕の三人で昼食をとっていたときのことだ。
夕方くらいから雨が降りそうだが傘を忘れた、そんなふうにボヤく課長への何気ない発言が問題視されたのだ。
「じゃあ私の傘使いますか? 会社に2本あるんで」
僕がそう提案した瞬間、課長がギョッとした顔でこちらを見た。
それからすぐに視線を外し、苦笑いを浮かべながら「大丈夫、なんとかするよ。ありがとう」。
場に妙な空気が漂ったのでおやっと思ったのをよく覚えている。
「傘のやつ、あれはよくない。友達と話してるんじゃないんだからさあ」
先輩と二人きりになるやいなやたしなめられた。
「いや、いいことなんだよ? 親切だし。でも、なんというかなあ……」
「『予報だと何時くらいから降るらしいですね』とかさあ、『わざわざコンビニでビニール傘買うのも気が進まないですよね』とか俺なら言うかなあ」
「いきなり『傘使いますか?』はなあ……う~ん。言い方がなあ」
この出来事をきっかけに、僕は仕事で関わる人々の発言にアンテナを張り巡らすようになった。
傘の件に納得できかったというのもあるが、なによりサラリーマン特有のコミュニケーション様式に強く興味を惹かれた。
すると、どうやら彼らはとにかく装飾を施して言葉を紡ぎだすということがわかった。
例えば……
『M性感に行きたい』
このシンプルな発言をサラリーマンのパロールに変換するとこんな感じになる。
『私といたしましても、やはりあまり経験したことがないサービスですのでなんと言いますか……ちょっと勇気がいるな(笑)と。ええ、正直、思うところもあるんですね。もちろん、御徒町ですとか、五反田ですとかそういういわゆる"夜の街"というんですか(笑)。そういう場所でまあ、サービスを受けた経験は当然あるんですけれども、はい……そうですねえ、まあ……自分でも触ったこともない部位にタッチされちゃうっていう(笑)。それはやっぱりまだ経験不足なので怖いな、勇気がいるなというのが本音の部分でありまして。ただ、もちろんこのニッチなサービスが良いものだというのは正直感じていまして、ええ。「M性感に行くんだぞ!」と、そういうふうに惹きつけられてるユーザーがたくさんいらっしゃるのは確かですし。ええ、もちろんもちろん。良いものだというのは間違いないですし、はい。あとは気持ちの問題といいますか、あくまでこちらの気持ちですね。ただ、先ほども申し上げましたようにサービスが魅力的なのは承知しておりますので……今晩(笑)。お尻のほうをちゃんと綺麗にして、ええ(笑)。M性感のほう、行こうかなと(笑)』
彼らはとにかく婉曲的な言い回しをしたり、ワンクッションもツークッションも置いたりすることを好むのだ。
「ええ」や「はい」などの肯定応答詞を惜しげもなく使ったり、順接の「が」とともに前置きを多用したりするのが当然になっている。
こうした情報の出し惜しみや引っ張りはほとんどサラリーマン世界における作法に近いという気さえする。
そう考えると、傘の件は確かに不躾だったかもしれない。
カタギの世界の礼節と照らし合わせたら、タクシー運転手のコミュニケーションは不躾どころでは済まないだろう。
無礼で下品とまで見なされてしまうかもしれない。
とにかく簡潔明瞭なのだ。
少なくとも、乗務員同士のやり取りにおいてはそうだ。
「忘年会どうするんだ?」
「俺は行かねえ」
「もう休憩してんのか」
「やる気が出ねえ」
「ボールペンがねえ」
「俺の売ってやるよ」
一事が万事この調子なのだ。
新人だった頃の僕はこうしたやり取りを目の当たりにして面食らってしまった。
まだ、カタギの感覚が染みついていたということだろう。
ただ、この独特な世界に僕が順応するのに時間はかからなかった。
二次的な意味を含まないコミュニケーションに心地良さを感じたのだ。
僕は他の乗務員の口から嫌味というものを聞いたことがない。
無礼で下品でフランクな業界。
僕に話しかけてきたあの新人ドライバーも染まってしまうのだろうか。
もしもあの人のコミュニケーションが二次的な意味を失ったとしたら、人見知りの僕でもざっくばらんに会話ができるかもしれない。