退職した元同僚が日本一楽に簡単に稼げる夢のような仕事に就いていた
数か月前、同僚ドライバーが会社を去っていった。
人間関係がドライなこの職場にあって、周りから慕われ、顔も広いという奇特な人だった。
そういうタイプの人は労働組合の役員に推されるなどして、古参への道を歩んでいくのがパターンだったので、僕はこの退職に衝撃を受けた。
一般企業へ転職するのだろうか。
彼は僕より8つほど年上だが、それでもまだ30代。
選り好みさえしなければ、タクシー運転手からカタギに戻るチャンスがないわけではない。
実際、人手不足に悩む経営者が若いドライバーに名刺を渡して引き抜きにかかるのはよくある話だ。
僕自身、半年に一度はお客さんからそうやって転職を打診される。
だが、彼が次の仕事に選んだのはまたしてもタクシーだった。
といっても、別の会社に移ったというわけではない。
個人タクシーを開業したのだ。
真相を知ったとき、僕は羨ましいと思う反面、もったいないとも思った。
確かに、個人タクシーの場合、法人タクシーよりも自由度は高い。
自分が社長であると同時に唯一の従業員であるのだから、あらゆる制約や干渉から免れて仕事に臨むことができる。
法律を守っている限りは、誰からもとやかく言われない。
車内に小型冷蔵庫を設置している人もいるくらいだ。
とはいえ、法人タクシーの運転手だって相当な自由を許さているのも事実だ。
少なくともうちの会社はかなり緩い。
有給休暇はフル消化できるし、前もって相談すれば丸々1カ月の欠勤も可能だし、なにより売上をとやかく言われない。
個タクに鞍替えしたところで自由度はあまり変わらないのではというのが正直な感想だった。
もちろん、営業成績に対するドライバーの取り分は多くなる。
売上金がそっくりそのまま額面収入になるのだから当然だ。
それでも、経理面の雑務やトラブル処理のわずらわしさを考えれば、そこまで魅力的とは思えなかった。
法人タクシーのドライバーは面倒ごとを会社にアウトソーシングしているとも言えるのだ。
トータルで見たらトントンってところだろう。
法人タクシーと個人タクシーを比較して、僕は自分のなかでそう結論付けていた。
その実態を知るまでは。
「やっぱり自由だとダメだね。先月の売上50万だもん」
退職以来、久しぶりにうちの会社に顔を出した彼は僕たちにそうボヤいた。
どうにもやる気が出ないので挨拶がてら寄ったのだという。
「50万なんてサボってる証拠だよ」
周りから冷やかされ彼は苦笑した。
確かに寂しい結果だ。
数字をあげにくい昼勤でもよほどのことがない限り到達できる。
「手取りだとどんくらいになるんですか?」
僕は何気なく尋ねた。
すると、大したことないとでもいうふうに、彼は衝撃的な回答を口にした。
「40万くらいかなあ。40万弱? そんなもん」
「40万⁉」
僕の声があまりに大きかったので、その場にいた全員が体をビクッとさせた。
「えっ、そんないくんですか⁉ 手取りですよ? 税金とかガス代全部しゃっ引いたあとの」
「うん、いくよ。ガス代そんな高くねえし」
「マジっすか……」
僕は自分の日々の仕事を思い返しながらしばし呆然とした。
肌感覚として売上50万円は"都内を適当にドライブしたら勝手に稼げてました"くらいの甘さだ。
8時間労働×20日で達成できる。
10時間労働なら17日といったところだろう。
それで月40万円も手元に残るのは驚愕としか言いようがない。
このときをもって、僕にとっての「美味しい仕事」のシンボルは"バブル期のマガジンハウス"、"未来工業"から"東京エリアの個人タクシー"に交代した。
それからより詳しく話を聞いたところ、どうやら個人タクシーの世界にも諸々の雑務を引き受けてくれる組織があるのだという。
協同組合なるものが存在していて、確定申告や事故処理などをサポートしてくれるようだ。
こうなってくると、個人タクシーに対する法人タクシーならではのメリットなどほぼないだろう。
額面年収600万円の手取り年収480万円。
都庁の課長代理や中堅メーカーの係長と同じくらいといったところか。
これを多いと見るか少ないと見るかは人それぞれだ。
ただ、世の中に仕事は数多くあれど、これほどコスパの良い稼業は滅多にないような気がする(あったら教えてほしい)。
日本一楽に簡単に稼げる仕事という気さえしてくる。
余談だが、サラリーマン時代に僕が勤めていた会社も35歳くらいで年収600万は狙えるような待遇だった。
ただし、60時間残業デフォ、有給消化日数0~3日/年、パワハラがっつり、休職者どっさりであることを勘案したら割に合ってるとは到底思えなかった。
個人タクシーの運転手、なれるものならぜひなってみたいものだ。