退職した元同僚が日本一楽に簡単に稼げる夢のような仕事に就いていた
数か月前、同僚ドライバーが会社を去っていった。
人間関係がドライなこの職場にあって、周りから慕われ、顔も広いという奇特な人だった。
そういうタイプの人は労働組合の役員に推されるなどして、古参への道を歩んでいくのがパターンだったので、僕はこの退職に衝撃を受けた。
一般企業へ転職するのだろうか。
彼は僕より8つほど年上だが、それでもまだ30代。
選り好みさえしなければ、タクシー運転手からカタギに戻るチャンスがないわけではない。
実際、人手不足に悩む経営者が若いドライバーに名刺を渡して引き抜きにかかるのはよくある話だ。
僕自身、半年に一度はお客さんからそうやって転職を打診される。
だが、彼が次の仕事に選んだのはまたしてもタクシーだった。
といっても、別の会社に移ったというわけではない。
個人タクシーを開業したのだ。
真相を知ったとき、僕は羨ましいと思う反面、もったいないとも思った。
確かに、個人タクシーの場合、法人タクシーよりも自由度は高い。
自分が社長であると同時に唯一の従業員であるのだから、あらゆる制約や干渉から免れて仕事に臨むことができる。
法律を守っている限りは、誰からもとやかく言われない。
車内に小型冷蔵庫を設置している人もいるくらいだ。
とはいえ、法人タクシーの運転手だって相当な自由を許さているのも事実だ。
少なくともうちの会社はかなり緩い。
有給休暇はフル消化できるし、前もって相談すれば丸々1カ月の欠勤も可能だし、なにより売上をとやかく言われない。
個タクに鞍替えしたところで自由度はあまり変わらないのではというのが正直な感想だった。
もちろん、営業成績に対するドライバーの取り分は多くなる。
売上金がそっくりそのまま額面収入になるのだから当然だ。
それでも、経理面の雑務やトラブル処理のわずらわしさを考えれば、そこまで魅力的とは思えなかった。
法人タクシーのドライバーは面倒ごとを会社にアウトソーシングしているとも言えるのだ。
トータルで見たらトントンってところだろう。
法人タクシーと個人タクシーを比較して、僕は自分のなかでそう結論付けていた。
その実態を知るまでは。
「やっぱり自由だとダメだね。先月の売上50万だもん」
退職以来、久しぶりにうちの会社に顔を出した彼は僕たちにそうボヤいた。
どうにもやる気が出ないので挨拶がてら寄ったのだという。
「50万なんてサボってる証拠だよ」
周りから冷やかされ彼は苦笑した。
確かに寂しい結果だ。
数字をあげにくい昼勤でもよほどのことがない限り到達できる。
「手取りだとどんくらいになるんですか?」
僕は何気なく尋ねた。
すると、大したことないとでもいうふうに、彼は衝撃的な回答を口にした。
「40万くらいかなあ。40万弱? そんなもん」
「40万⁉」
僕の声があまりに大きかったので、その場にいた全員が体をビクッとさせた。
「えっ、そんないくんですか⁉ 手取りですよ? 税金とかガス代全部しゃっ引いたあとの」
「うん、いくよ。ガス代そんな高くねえし」
「マジっすか……」
僕は自分の日々の仕事を思い返しながらしばし呆然とした。
肌感覚として売上50万円は"都内を適当にドライブしたら勝手に稼げてました"くらいの甘さだ。
8時間労働×20日で達成できる。
10時間労働なら17日といったところだろう。
それで月40万円も手元に残るのは驚愕としか言いようがない。
このときをもって、僕にとっての「美味しい仕事」のシンボルは"バブル期のマガジンハウス"、"未来工業"から"東京エリアの個人タクシー"に交代した。
それからより詳しく話を聞いたところ、どうやら個人タクシーの世界にも諸々の雑務を引き受けてくれる組織があるのだという。
協同組合なるものが存在していて、確定申告や事故処理などをサポートしてくれるようだ。
こうなってくると、個人タクシーに対する法人タクシーならではのメリットなどほぼないだろう。
額面年収600万円の手取り年収480万円。
都庁の課長代理や中堅メーカーの係長と同じくらいといったところか。
これを多いと見るか少ないと見るかは人それぞれだ。
ただ、世の中に仕事は数多くあれど、これほどコスパの良い稼業は滅多にないような気がする(あったら教えてほしい)。
日本一楽に簡単に稼げる仕事という気さえしてくる。
余談だが、サラリーマン時代に僕が勤めていた会社も35歳くらいで年収600万は狙えるような待遇だった。
ただし、60時間残業デフォ、有給消化日数0~3日/年、パワハラがっつり、休職者どっさりであることを勘案したら割に合ってるとは到底思えなかった。
個人タクシーの運転手、なれるものならぜひなってみたいものだ。
サラリーマンのコミュニケーションを取られるとギョッとするし懐かしくもなる
「昼勤の方ですか?」
隣には精悍な面構えの男性。
早朝でまだ頭がぼんやりしていたので、話しかけられるまでその存在に気が付かなかった。
知らない顔だ。
歳は僕より一回りは上だろう。
「随分お若いですよねえ。あ~、やっぱりそうですかあ。いいなあ、お客様に喜ばれるでしょう」
ギョロっとした目が僕を捉えて離さない。
一見友好的な態度とは裏腹に、相手を値踏みするような張り付いた笑みを浮かべ続けている。
「一日どのくらい売りあげるんですか? えっ、凄いじゃないですか‼ 若いのに立派だなあ」
私なんかじゃ敵いっこないや、そうため息をついて頭を振ってみせる。
僕は強烈な違和感を覚えた。
人工的な笑顔、軽薄なヨイショ、大袈裟な仕草……なるべく本心を隠しながら相手が何者であるかを探ろうとする意図を感じ取った。
世慣れした社会人に特有の習性だ。
つい最近までカタギの世界で生きていたことがはっきりと分かる。
まったくもってタクシー運転手らしくない。
新人だろうなと思った。
同時にそうした立ち回りに懐かしさを覚えた。
なぜなら僕も短期間ながらサラリーマンの世界に身を置いた過去があるからだ。
あのとき仕事で関わり合った人々は例外なく演劇性を備えていた。
同僚から取引先の担当者にいたるまで、皆、本心や素の口調を封じ込めていた。
裏を返せば、その隠ぺいを徹底できないようではサラリーマン失格ということなのだろう。
そして、僕は絶望的なほど演劇性を欠いていた。
youtuberのような抑揚での挨拶も、身振り手振りを交えたアニメ的なリアクションもできなかった。
僕は隠ぺいに必携の武器を何一つ持たずに仕事に臨んでいたのだ。
やはり会社では浮いた存在だった。
こうした丸腰の立ち振る舞いについて一度だけはっきりと注意されたことがある。
同じ部署の課長と先輩と僕の三人で昼食をとっていたときのことだ。
夕方くらいから雨が降りそうだが傘を忘れた、そんなふうにボヤく課長への何気ない発言が問題視されたのだ。
「じゃあ私の傘使いますか? 会社に2本あるんで」
僕がそう提案した瞬間、課長がギョッとした顔でこちらを見た。
それからすぐに視線を外し、苦笑いを浮かべながら「大丈夫、なんとかするよ。ありがとう」。
場に妙な空気が漂ったのでおやっと思ったのをよく覚えている。
「傘のやつ、あれはよくない。友達と話してるんじゃないんだからさあ」
先輩と二人きりになるやいなやたしなめられた。
「いや、いいことなんだよ? 親切だし。でも、なんというかなあ……」
「『予報だと何時くらいから降るらしいですね』とかさあ、『わざわざコンビニでビニール傘買うのも気が進まないですよね』とか俺なら言うかなあ」
「いきなり『傘使いますか?』はなあ……う~ん。言い方がなあ」
この出来事をきっかけに、僕は仕事で関わる人々の発言にアンテナを張り巡らすようになった。
傘の件に納得できかったというのもあるが、なによりサラリーマン特有のコミュニケーション様式に強く興味を惹かれた。
すると、どうやら彼らはとにかく装飾を施して言葉を紡ぎだすということがわかった。
例えば……
『M性感に行きたい』
このシンプルな発言をサラリーマンのパロールに変換するとこんな感じになる。
『私といたしましても、やはりあまり経験したことがないサービスですのでなんと言いますか……ちょっと勇気がいるな(笑)と。ええ、正直、思うところもあるんですね。もちろん、御徒町ですとか、五反田ですとかそういういわゆる"夜の街"というんですか(笑)。そういう場所でまあ、サービスを受けた経験は当然あるんですけれども、はい……そうですねえ、まあ……自分でも触ったこともない部位にタッチされちゃうっていう(笑)。それはやっぱりまだ経験不足なので怖いな、勇気がいるなというのが本音の部分でありまして。ただ、もちろんこのニッチなサービスが良いものだというのは正直感じていまして、ええ。「M性感に行くんだぞ!」と、そういうふうに惹きつけられてるユーザーがたくさんいらっしゃるのは確かですし。ええ、もちろんもちろん。良いものだというのは間違いないですし、はい。あとは気持ちの問題といいますか、あくまでこちらの気持ちですね。ただ、先ほども申し上げましたようにサービスが魅力的なのは承知しておりますので……今晩(笑)。お尻のほうをちゃんと綺麗にして、ええ(笑)。M性感のほう、行こうかなと(笑)』
彼らはとにかく婉曲的な言い回しをしたり、ワンクッションもツークッションも置いたりすることを好むのだ。
「ええ」や「はい」などの肯定応答詞を惜しげもなく使ったり、順接の「が」とともに前置きを多用したりするのが当然になっている。
こうした情報の出し惜しみや引っ張りはほとんどサラリーマン世界における作法に近いという気さえする。
そう考えると、傘の件は確かに不躾だったかもしれない。
カタギの世界の礼節と照らし合わせたら、タクシー運転手のコミュニケーションは不躾どころでは済まないだろう。
無礼で下品とまで見なされてしまうかもしれない。
とにかく簡潔明瞭なのだ。
少なくとも、乗務員同士のやり取りにおいてはそうだ。
「忘年会どうするんだ?」
「俺は行かねえ」
「もう休憩してんのか」
「やる気が出ねえ」
「ボールペンがねえ」
「俺の売ってやるよ」
一事が万事この調子なのだ。
新人だった頃の僕はこうしたやり取りを目の当たりにして面食らってしまった。
まだ、カタギの感覚が染みついていたということだろう。
ただ、この独特な世界に僕が順応するのに時間はかからなかった。
二次的な意味を含まないコミュニケーションに心地良さを感じたのだ。
僕は他の乗務員の口から嫌味というものを聞いたことがない。
無礼で下品でフランクな業界。
僕に話しかけてきたあの新人ドライバーも染まってしまうのだろうか。
もしもあの人のコミュニケーションが二次的な意味を失ったとしたら、人見知りの僕でもざっくばらんに会話ができるかもしれない。
タクシー運転手という仕事でストレスを溜めるのは難しい
その夜、僕は意気揚々と営業所へ帰還した。
総営収56,000円(税込)。
タクシーメーターには"東京タワー → 日光"の片道運賃と同じくらいの売上が記録されている。
我ながら驚異的だと思った。
営業したのはタクシー需要が少ない午前8時~午後6時にかけての10時間。
しかも、超長距離客に一度も遭遇せずにこの数字を叩き出した。
これがどれほど稀有で困難か……野球で例えるなら4打数4本塁打くらいの離れ業だろう。
僕が有頂天になるのも無理はない。
お前は途轍もないことをやってのけたぞ。
入社3カ月のド新人がやってのけたんだぞ。
頭の中ではもう一人の自分がそんなふうにはしゃいでいた。
僕は車を降りるなり喫煙所を目指した。
この快挙を誰かに言いたくてたまらなかった。
お客さんが少なくなる時間だけあって、灰皿の周りにはすでに人の輪ができている。
「おう、今日どうだった」
予想通り、いや、期待通りの挨拶が同僚ドライバーから飛んできたので思わず頬が緩みそうになった。
「忙しかったですねえ」
「どんくらいやったの? 俺28,000だ」
僕はなるべく平静を装いながら答えた。
「56,000っす」
一気に場が静まり返った。
全員タバコを吸う手を止め、こちらにサッと目を向けた。
「5万!? 5万やったのか⁉」
喫煙所は蜂の巣をつついたような大騒ぎになった。
四方八方から矢継ぎ早に質問が飛んでくる。
僕はそれらに答えながら、なろう小説かよと内心でツッコミを入れた。
これほど気持ちが良かったことはない。
やはり、日中だけで5万円台を売り上げることは極めて稀なことらしく、皆は驚嘆し、手放しで僕を称えた。
仕事で抜きんでた成果を上げたのは生まれて初めてのことだったのでとにかく嬉しかった。
コピーして持ち帰った営業日報を何十分も眺め続けて眠りについたほどだ。
だが、その喜びも翌朝には全て消え去った。
総営収0円。
出庫時のタクシーメーターが活躍の余韻を容赦なく断ち切る。
どの運転手にも平等に訪れるゼロからのスタートだ。
まるで、セーブし損なったゲームを再び起動したかのようにふりだしに戻されてしまう。
前日にどれだけ売り上げていようが関係ない。
タクシー運転手という仕事は断続的だと僕は常々思っている。
タスクが完結するまでのスパンが非常に短いからだ。
お客さんを目的地に送り届けるまでに要する時間は平均して10分程度だろう。
この細かい業務遂行を10回、20回と積み重ねて一日の仕事が完結する。
その一日の仕事を20回、21回と積み重ねて一カ月の仕事が……。
ひたすらこれを繰り返すだけ。
確かに、サラリーマンの仕事も断続的であると言えなくはない。
たとえば、客先との関係が10年は続く長期融資であったとしても、銀行員はヒアリング、与信判断、稟議書作成などの業務を積み重ねていく(よね?)。
編集者だって同じだろう。
会議、企画立案、発注、取材……分解すればやはりいくつもの完結したタスクがあるはずだ。
ただ、それでもタクシー運転手とは決定的に違う点がある。
それは"利害関係の解消"だ。
タクシー運転手の場合、最下部にあたる業務が完了すると同時にお客さんとの関係も消滅する。
清算を済まし車から降りられた時点でお客さんとはもうそれっきりだ。
「あの運転手は最近俺のところに全然顔を出さない」などとむくれる利用者などいないだろう。
この仕事には引継ぎも年始挨拶も存在しない。
この特殊性によるメリットは大きい。
特にメンタル面で良い影響を与えてくれる。
たとえ後部座席から酔っ払いに暴言を浴びせられようが、到着しさえすれば全ては完結する。
たとえ道を間違えようが、そのミスを次に乗ってくるお客さんが難詰してくることはない。
断続、それはリセットの繰り返しでもあるのだ。
ネガティブな出来事がすかさず過去となるのだから、ストレスを溜めずにいられる。
軟弱な僕がこの仕事を気楽に続けていられるのは断続性のおかげだろう。
憂鬱とは一切合切無縁だ。
思えば、サラリーマン時代は"利害関係の解消"がとにかく困難だったように感じる。
取引先とは長く付き合い続けるのが当たり前だったし、その間も色々なフォローが必要だった。
なにより、社内の人間も利害関係の輪に組み込まれているのが辛かった。
必ず同僚や上司と協同して仕事に取り組むからだ。
個人の成果やミスが身内にも影響を与える以上、どんな出来事もなかなか過去になってくれない。
背広を着ているあいだは常に閻魔帳をつけられているような気分だった。
皆、有能と無能の類別に躍起になり、社内ではカースト制度のようなものが出来上がっていた。
これでは日曜夜に胃が痛んだり、心臓が暴れだしたりしたのも当然だと今になって思う。
タクシー運転手のあいだには能力に応じた上下関係が存在しない。
壊滅的に腕が悪いドライバーがいようが、周りがとばっちりを受けるなんてことはないからだ。
その逆もしかり。
エース級のドライバーが営収最下位の同僚に説教しようものなら、周囲から単なる無礼者と見做されてしまうことだろう。
能力が後ろ盾となるのは給料、ただそれだけなのだ。
立場や発言力にはなんらの影響も与えない。
実に進歩的だと思う。
同時に、売上を周りに誇って得意になっていた自分が恥ずかしい。
この健全な風土にそぐわぬ振る舞いだったと今は反省している。
良いことも悪いことも綺麗さっぱり過去になる世界なのだから。
Googleマップはタクシー運転手の専門スキルを過去のものにした
第一志望大学の入試前日、僕は遭難した。
歩けども歩けども目的地にたどり着けない。
EZナビウォークがお寺の壁をよじ登らせるデタラメなルートを新たに示したとき、歩き始めてからすでに3時間が経過していた。
生まれついての方向音痴は自覚していた。
だからこそ、僕は実家から電車を乗り継ぎ、わざわざ試験会場の下見に出向いたのだ。
それなのにこのざまである。
悪戦苦闘の末、名も知らぬ地下鉄駅の入口が目の前に現れたところで僕はギブアップ。
そのまま帰宅することにした。
「大学どころか幼稚園からやり直したほうがいいかもしれない」
二月の寒空の下、僕は汗びっしょりでうなだれた。
結局、入試当日は駅から他の受験生たちのケツについて行った。
真っ直ぐの道をほんの3分歩いただけで会場に到着し、情けなくなったのをよく覚えている。
試験には落ちた。
携帯といえばガラケーだった時代。
スマホ利用者がまだ好機の視線に晒されていた頃の苦い記憶である。
まさか、こんな自分がタクシー運転手になるとは夢にも思っていなかった。
車が通行できる道なら全てを知り尽くしている人々、タクシー運転手に対してそんなイメージを抱いていたからだ。
脳内のコンパスが回転しっぱなしの僕にとって、彼らは立派な超能力者だった。
カーナビはあてにならないとベテランドライバーは口を揃える。
提示ルートが最短距離とは到底言い難く、下手すると料金が数百円余計にかかってしまうのだ。
だから、新人研修で指導員はこう助言する。
お客様に道を訊きなさい。
ボロボロになるまで地図を読み込みなさい。
一朝一夕にはいかないというわけだ。
都内の道をマスターするには3年かかるなんて話もある。
3年……過少に見積もっても総走行距離は7万キロに達するだろう。
そうしてようやく身に付くノウハウは、超能力は言い過ぎにしても立派な専門スキルだ。
方向音痴の僕はさぞかし経路設計に苦労していると思われるだろう。
だが、実際のところ全く困っていない。
それどころか、見知らぬ土地のお客さんから「若いのにこの道を知ってるなんて」と称賛されることもしばしば。
なんの訓練も努力もせずに僕は都内を走り回っている。
全てはGoogleマップのおかげだ。
このアプリのナビ機能はタクシー運転手の専門スキルを過去のものにした。
タクシー運転手が一般的なカーナビに使い勝手の悪さを感じる点は多い。
- 最短距離のルートを提示できない
- ルートのバリエーションに乏しい
- 所要時間や距離の推定があまりにアバウト
- リアルタイムの道路状況を把握できない、できたとしても精度が悪い
- 名称検索で出てくる施設が少ない
- 出入口の場所まで把握されている建物がほとんどない
- 地図上の道路が『通り名』で表記されない
- 注意深く地図を見ないとバス通りがどこか分からない
- 時間帯規制中の道路もルートに組み込む
- 交差点名で検索できない
ざっと思いつくだけでこれほどある。
はっきり言って、この仕事で使えるようなシロモノではない。
だが、Googleマップはこれらの問題点を全て克服している。
必ず最短距離ルートが分かるし、そこらへんのアパートの名前ですら検索で出てきてくれる。
なにより素晴らしいのが柔軟さ。
目的地を入力した時点で複数ルートとそれぞれの距離・所要時間の違いがわかるのはもちろんのこと、走行中でもそうした情報が新たに提示されるのだ。
いちいち操作し直す必要はない。
それらの情報は要所要所で自動的にマップに反映される。
至れり尽くせりだ。
まるでGoogleマップがタクシー運転手のために開発されたかのような気さえしてくる。
正直言って、不満がないわけではない。
- まさにこれから出発というとき自分の位置情報がよく狂う
- 高速道路を走行中、一般道上の案内ルートに突然切り替わる(※京橋付近で頻出の現象)
- 一般道を走行中、高速道路上の案内ルートに突然切り替わる(※上大崎付近で頻出の現象)
- 高速道路を走行中、降りる予定の出口が勝手に変わっている
ただ、それでも仕事をやっていくうえで全く困らない。
右も左も分からぬ新人タクシードライバーにベテラン並みかそれ以上の技能を授けてくれる。
Googleマップ恐るべし。
病的な方向音痴の僕はGoogleマップに感謝しきりだ。
大げさではなく、毎日、毎分、毎秒助けられている。
無料で利用できることが信じられないくらいだ。
毎月1万円くらいならこのアプリのために喜んで払ってもいい。
そんな僕だが、タクシー需要予測技術の発展には戦々恐々としている。
この仕事は完全歩合制なので稼ぎの面では不安定だ。
それゆえに業界全体が人手不足で、運転手に辞められたくない会社側はあまり無茶を言ってこない。
リスクプレミアムが付与されているからこそ、僕らはお気楽に働けているという面もあるのだ。
ビッグデータ解析なんかで売上の差異がなくなる未来が到来したら……ゾッとする。
怠け者の楽園の崩壊が訪れないことを願うばかりだ。
タクシー豆知識。
Googleマップを使って東京都のタクシー料金を予測することもできる。
"1km×460円"
これだけ。
お客さんを乗せているときに、せっかちな僕はこの式を使って必ず運賃を計算するのだが、誤差は結構少ない。
ただし、目的地までの距離が2㎞未満だとズレが大きくなる。
ちなみに、10㎞以上の場合は計算結果からマイナス460円するくらいがちょうどいい。
タクシーに乗る前にあらかじめ自分の財布と相談したい場合はこの計算をぜひ試してみてほしい。
引きこもり支援業者の横暴が放置されてる世の中って異常じゃね?
僕はニートや引きこもりに対して怒りや敵意を抱いたことがない。
社会のレールに乗っていた時期から今に至るまで一貫してそうだ。
軽蔑すらしなかった。
もちろん、同属をわざわざ攻撃したくないという心理も働いている。
自分がニートや引きこもり側の人間であることは学生時代から察していた。
だが、なによりも彼らに割を食わされている実感が全く抱けなかったことが根っこにある。
「本人の自由なんだからいいじゃん」
それが嘘偽らざる本音だった。
ある意味、寛大とも言える僕のこの態度は地獄のサラリーマン生活においても揺るがなかった。
考えてみれば当然だ。
ニートや引きこもりが労働の土俵から降りていることと、僕が会社でストレスを受けていることのあいだになんら因果関係はない。
同年代の社会人がニートに憤るのが不思議でならなかった。
そして、社会人でありながらニートに対して肯定的なスタンスを取り続ける僕は時に不気味がられ、怒りの矛先を向けられた。
「なんでも自由なわけじゃねえぞ。勤労の義務を放棄してるニートは憲法違反だ」
「いや、憲法は国家権力を縛るもんだからニートには関係ねえぞ」
「そんなん聞いたことねえよバカ」
"バカ"の一言で切って捨てられ呆然としたことをよく覚えている。
書籍を通じて僕に憲法の手ほどきをしてくれた小室直樹は間違っていたというのか。
反ニートの彼らはより良い社会を実現させるためにあえて事実を無視したのだろうか。
そんなふうに僕は混乱してしまったのだ。
今にしてみれば見当違いも甚だしい。
反ニート思想の源泉は拍子抜けするほど単純。
"あいつら気に食わねえ"
これだけ。
憲法がどうとか、社会不安がどうとかは全部後付けだ。
そして、ニートへの口撃を彼らが始めるきっかけはもっと単純。
満員電車で足を踏まれた、昇進が遅れた、小便が足にかかった……もはや理屈ではない。
「社会参加は絶対的な善。反ニートは正義」
こんなおっかない大前提がいつの間にかでっち上げられてしまっているのだ。
"本人の自由なんだからいいじゃん"の合理性ををまだ潰せていないのにもかかわらず。
引きこもり支援業者なるものがあるらしい。
親の依頼を受けた業者が引きこもりを家から無理やり連れだし、望まぬ労働を強いるので問題になっているという。
その乱暴な手口が違法かどうかはひとまず脇に置くとしよう。
僕がマズいと思うのは、そういう支援業者が引きこもりを家から叩き出し働かせることしか目指していないという点だ。
現在、日本には100万人以上の引きこもりがいる。
心身の状態や能力を鑑みて、その時点では「ひとまず働かない」ことが最善の手となる人間だっているはずなのだ。
それにもかかわらず、有無を言わさずの強制連行からの強制労働。
もはや、自立支援は単なる建前で引きこもりへの人権侵害を原動力に商売しているとしか思えない。
そして、そんなメチャクチャを許しているのは「社会参加は絶対的な善。反ニートは正義」というハチャメチャな大前提ではないだろうか。
この大前提が世の中から消えない限り、自立支援業者が社会的制裁を受ける日はこないだろうと暗い気持ちになる。
ここからは余談。
そんな業者に数百万円も払うならタクシー会社勧めたほうが絶対いいよ。
金払うどころか入社支度金数十万円もらえるし。
日当貰いながら研修受けて二種免許取らせてもらえるし。
なによりニートや引きこもりに向いてる仕事だし。
リクナビを駆使したこんな会社探しで無事に一次面接17連敗
新卒時、僕は就職活動に成功した。
いや、成功なんて表現は大仰か。
とりあえず、就職留年せずにどうにか内定を確保できた。
就職氷河期の真っ只中だったことを考えれば、我ながらよくやったと思う。
大学4年の秋になってもリクスーを脱げずにいるクラスメートは多くいた。
ただ、その道のりはスマートとは程遠かった。
僕は内定を獲得するまでに一次面接17連敗を経ていたからだ。
当時、就活生のあいだではこんな噂がまことしやかにささやかれていた。
「一次面接ではほとんど落とされない。『ヤバい奴』の足切りでしかない」
この噂は多分正しい。
実際、僕は1年足らずでサラリーマン社会から脱落したし、その後のブランクも長期に及んだ。
きっと、面接官たちは僕が会社員としてやっていけるとは到底思えなかったのだろう。
今となってはその慧眼を認めざるを得ない。
僕を『ヤバい奴』たらしめる要素。
その最たるものは労働意欲の低さだろう。
当時から勘付いてはいた。
確かに、周りを見れば僕に限らず怠惰でルーズで覇気のない連中はゴロゴロいた。
表面的には同類に見えなくもない。
ただ、そんな彼らですら僕とは決定的に違った。
彼らは"条件付きで"前を向いていたのだ。
広告代理店に入ればアイドルと楽しく仕事ができそう。
大好きなサッカーに携われる仕事ならやっていけそう。
兄弟のように仲が良い先輩が勤めるあの会社なら入社したい。
理由は違えども、皆どこかに自分なりのオアシスが必ずあると信じていた。
説明会をブッチしようが、ノープランで面接に臨もうが、労働そのものに舌打ちしていようが、意欲自体が死に絶えているわけではなかった。
ふたを開けてみれば、彼らは一次面接で善戦していた。
『ヤバい奴』のラベリングは適さないだろう。
一方の僕はオアシスの実在すら信じられず、徹底的に後ろ向きだった。
どんな会社だろうが到底勤まる気がしなかった。
死ぬか地獄を見るかの二択でどうにかして地獄を探り当てるミッション。
僕にとって就活はそれほど救いがなかった。
僕の怯えや消極性が如実に表れたのは会社探しだろう。
周りの学生が合同説明会に参加するなか、僕は自室でひたすらリクナビの検索窓にワードを打ち込んでいた。
"160日"……0社
"159日"……0社
"158日"……0社
そう、僕はなによりもまず休日日数で企業をふるいにかけていたのだ。
他のどの条件よりも重要視した。
どうせ職場に馴染めないのならせめて1日でも多く家にいたい。
そんな切なる願いを胸に捻り出した生存戦略だった。
次に社員紹介ページを見る。
ゴルフ焼けした恰幅の良い男が一人でも写っていれば別の会社を探す。
こんなことをひたすら繰り返していた。
やはり僕は根っからの社会不適合者なのだろう。
あるとき、このスクリーニング法を仲間に明かしたとき、札付きのダメ人間キャラの奴でさえ軽く引いていた。
柄にもなく「そんな考えでいいのか?」と。
ただ、その場で理解を示してくれた人間がたった一人だけいた。
リュウちゃんという男だ。
あだ名の由来は「二留」の留。同学年ながら僕より二歳年上だった。
彼は「その手があったかあ‼」と大興奮しっ放しで周囲をドン引きさせていた。
今振り返っていれば、象徴的な出来事だったように思う。
リュウちゃんは卒業と同時にニートになり、他の仲間は皆無事にサラリーマンとなった。
僕のネガティブな姿勢に対する反応で将来が正確に占えていたというわけだ。
その後、僕も案の定ニートになった。
あの内定は神様のいたずらに違いない。
たった4分の面接で長期ニート生活は幕を閉じた
これまでの人生において僕が一番頭を使っていた時期。
それは受験生時代でも、サラリーマン時代でもなく、間違いなくあのニート時代だった。
脳ミソをオーバーヒート寸前まで回転させ、有り余る時間を使い尽くしていた。
家からほぼ一歩も出ずにだ。
一発逆転を目論み資格試験の勉強に打ち込んでいたとかいうわけではない。
自分の社会復帰がいかに困難であるかを頭のなかで徹底的に確認し続けていたのだ。
年齢、空白期間、市場価値、メンタル、人間関係構築能力、挙動……あらゆる要素から自己分析を行う。
そうしてあらわになった自己像を、就活で連戦連敗したり、職場で力不足を感じたり、孤立したりした過去の経験にぶつける。
最後に「自分の社会復帰は不可能。根拠は~」などと脳内で長々と論を張る。
一晩中でも語り続けられるほど長々と。
来る日も来る日も、部屋に閉じこもって僕はそんなことをしていた。
当然、絶望的な気分になるし、頭がカーッと熱くなったりもする。
なのに、妙な達成感やカタルシスも覚えるのだから一種の自傷行為に近かったと思う。
……どっこい、僕は社会復帰を果たした。
地獄のニート時代が帳消しになったと思えるほどには充実した日々を送れている。
"社会復帰不能論"は単なるマイナス思考の産物とでもいわんばかり。
だが、僕はあの自己分析が正確だったと今でも考えている。
精神的に不安定な時期だったことを考慮してもである。
やはり、普通の就職活動では脱ニートは困難だったろうし、上手いこと会社員に戻れたとしても潰れていたに違いない。
タクシー運転手という仕事を発見し、一発ツモできたことがとにかく幸運だったというだけなのだ。
つまり、タクシー運転手という仕事では筋金入りの社会不適合気質が帳消しにされるということだ。
つくづく特殊な業界だと思う。
今僕が所属するタクシー会社の面接からして驚きの連続だった。
「どうしてタクシーがいいの?」
履歴書を一瞥してコワモテの営業所長が切り出した。
久々の外出と太陽光でヘトヘトに疲れ切っていた僕は無防備にもこう答えた。
「ずっとニートやっててもうお金がなくなりました」
頭がぼんやりしていたとはいえ、この志望動機はありえなかったと思う。
社会常識から完全に逸脱している。
普通の会社の面接なら割とマジのお説教をされるか、不快感たっぷりの嫌味が飛んでくるのがオチだろう。
だが、所長は表情一つ変えなかった。
「じゃあいい時期だな。これで内々定出すんだけど何か訊きたいことある?」
「えっ、もういいんですか?」
「うん。時間あるからなんでも質問していいよ」
面接開始からたった4~5分での内々定。
約10年ものあいだ止まっていた時計の針はあっけなく動き出した。
この予想を超えた事態でようやく頭に血がめぐってきた。
僕はここぞとばかりに所長を質問攻めにした。
人間関係、メンタルヘルス、過労死、酷い客……そういうデリケートな問いでも遠慮なくぶつけた。
所長は嫌な顔一つせずなんでも答えてくれた。
なかでも印象的だったのは年収について。
所長は"できる子で800万、できない子で250万"と言っていた。
いかにも成果主義賃金体系らしい格差だと思った。
「稼げる人と稼げない人でなにがそんなに違うんですか?」
「年収800万の子はねえ……あれはもう才能だね。教えてできることじゃない」
きっと僕はこれから"できない子"になってしまうのだろう。
金が絡む競争には全く不向きな自覚があった。
いわんや完全歩合制をや、である。
「やっぱり技術とかやる気がないと全然稼げませんか?」
「いや、そういうことでもなくてねえ」
所長はばつが悪そうに視線をそらした。
「やる気なくなると途中でパチンコ行っちゃう人もいるからさあ。昼でも仕事あがって家帰っちゃったり」
「そ、そういうのはいいんですか?」
「うちではね。良くも悪くも自分で判断する仕事だからさ」
最高じゃないですか!!
心のなかで僕は叫んでいた。
こうして僕は社会復帰した。
求人を見つけてから数日、面接開始から数分でニート生活に終止符が打たれた。
一般的な組織、特に企業などにおいて「自由」には巧妙な細工が施されている。
例えば、平日温泉旅行を満喫し惨憺たる成績に終わった投資マンション営業マンが「今月俺は月収15万で満足なんだよ!」などと吠えれば、真っ黒に日焼けした上司にしばき倒されてしまう。
「自由」はあくまで成果のリワードとして存在するという仕掛けがあるのだ。
この仕掛けがニートの社会復帰にとって厄介なものとなる。
通常、ニートが享受している自由は対価に基づかない「純な自由」だ。
「自由」とは似て非なるものである。
ニートが無理なく労働世界へ軟着陸するために用意されるべきは「純な自由」であり、「自由」では決してない。
だから、フレックスタイム制やリモートワークなどの文言には警戒心を持っておいて損はない。
あれらは対価に基づいた自由の産物であり、相当高度な働き方だ。
「純な自由」のもとではニートの社会不適合気質は充分紛れる。
そして、タクシー業界には「純な自由」が約束された会社が珍しくない。
どうか将来もこの風土が失われないでほしい、僕はそう強く願う。