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タクシーで社会復帰できた元高齢ニートのブログ

首吊り10秒前くらいのギリギリのところですんなり社会復帰できました。

Googleマップはタクシー運転手の専門スキルを過去のものにした

第一志望大学の入試前日、僕は遭難した。
歩けども歩けども目的地にたどり着けない。
EZナビウォークがお寺の壁をよじ登らせるデタラメなルートを新たに示したとき、歩き始めてからすでに3時間が経過していた。


生まれついての方向音痴は自覚していた。
だからこそ、僕は実家から電車を乗り継ぎ、わざわざ試験会場の下見に出向いたのだ。
それなのにこのざまである。


悪戦苦闘の末、名も知らぬ地下鉄駅の入口が目の前に現れたところで僕はギブアップ。
そのまま帰宅することにした。

「大学どころか幼稚園からやり直したほうがいいかもしれない」

二月の寒空の下、僕は汗びっしょりでうなだれた。


結局、入試当日は駅から他の受験生たちのケツについて行った。
真っ直ぐの道をほんの3分歩いただけで会場に到着し、情けなくなったのをよく覚えている。
試験には落ちた。


携帯といえばガラケーだった時代。
スマホ利用者がまだ好機の視線に晒されていた頃の苦い記憶である。


まさか、こんな自分がタクシー運転手になるとは夢にも思っていなかった。
車が通行できる道なら全てを知り尽くしている人々、タクシー運転手に対してそんなイメージを抱いていたからだ。
脳内のコンパスが回転しっぱなしの僕にとって、彼らは立派な超能力者だった。


カーナビはあてにならないとベテランドライバーは口を揃える。
提示ルートが最短距離とは到底言い難く、下手すると料金が数百円余計にかかってしまうのだ。
だから、新人研修で指導員はこう助言する。

お客様に道を訊きなさい。

ボロボロになるまで地図を読み込みなさい。

一朝一夕にはいかないというわけだ。
都内の道をマスターするには3年かかるなんて話もある。
3年……過少に見積もっても総走行距離は7万キロに達するだろう。
そうしてようやく身に付くノウハウは、超能力は言い過ぎにしても立派な専門スキルだ。


方向音痴の僕はさぞかし経路設計に苦労していると思われるだろう。
だが、実際のところ全く困っていない。
それどころか、見知らぬ土地のお客さんから「若いのにこの道を知ってるなんて」と称賛されることもしばしば。
なんの訓練も努力もせずに僕は都内を走り回っている。


全てはGoogleマップのおかげだ。
このアプリのナビ機能はタクシー運転手の専門スキルを過去のものにした。


タクシー運転手が一般的なカーナビに使い勝手の悪さを感じる点は多い。

  • 最短距離のルートを提示できない
  • ルートのバリエーションに乏しい
  • 所要時間や距離の推定があまりにアバウト
  • リアルタイムの道路状況を把握できない、できたとしても精度が悪い
  • 名称検索で出てくる施設が少ない
  • 出入口の場所まで把握されている建物がほとんどない
  • 地図上の道路が『通り名』で表記されない
  • 注意深く地図を見ないとバス通りがどこか分からない
  • 時間帯規制中の道路もルートに組み込む
  • 交差点名で検索できない


ざっと思いつくだけでこれほどある。
はっきり言って、この仕事で使えるようなシロモノではない。


だが、Googleマップはこれらの問題点を全て克服している。
必ず最短距離ルートが分かるし、そこらへんのアパートの名前ですら検索で出てきてくれる。


なにより素晴らしいのが柔軟さ。
目的地を入力した時点で複数ルートとそれぞれの距離・所要時間の違いがわかるのはもちろんのこと、走行中でもそうした情報が新たに提示されるのだ。
いちいち操作し直す必要はない。
それらの情報は要所要所で自動的にマップに反映される。


至れり尽くせりだ。
まるでGoogleマップがタクシー運転手のために開発されたかのような気さえしてくる。


正直言って、不満がないわけではない。

  • まさにこれから出発というとき自分の位置情報がよく狂う
  • 高速道路を走行中、一般道上の案内ルートに突然切り替わる(※京橋付近で頻出の現象)
  • 一般道を走行中、高速道路上の案内ルートに突然切り替わる(※上大崎付近で頻出の現象)
  • 高速道路を走行中、降りる予定の出口が勝手に変わっている


ただ、それでも仕事をやっていくうえで全く困らない。
右も左も分からぬ新人タクシードライバーにベテラン並みかそれ以上の技能を授けてくれる。
Googleマップ恐るべし。


病的な方向音痴の僕はGoogleマップに感謝しきりだ。
大げさではなく、毎日、毎分、毎秒助けられている。
無料で利用できるころが信じられないくらいだ。
毎月1万円くらいならこのアプリのために喜んで払ってもいい。


そんな僕だが、タクシー需要予測技術の発展には戦々恐々としている。

この仕事は完全歩合制なので稼ぎの面では不安定だ。
それゆえに業界全体が人手不足で、運転手に辞められたくない会社側はあまり無茶を言ってこない。
リスクプレミアムが付与されているからこそ、僕らはお気楽に働けているという面もあるのだ。
ビッグデータ解析なんかで売上の差異がなくなる未来が到来したら……ゾッとする。
怠け者の楽園の崩壊が訪れないことを願うばかりだ。



タクシー豆知識。
Googleマップを使ってタクシー料金を予測することもできる。

"1km×460円"

これだけ。
お客さんを乗せているときに、せっかちな僕はこの式を使って必ず運賃を計算するのだが、誤差は結構少ない。
ただし、目的地までの距離が2㎞未満だとズレが大きくなる。
ちなみに、10㎞以上の場合は計算結果からマイナス460円するくらいがちょうどいい。

タクシーに乗る前にあらかじめ自分の財布と相談したい場合はこの計算をぜひ試してみてほしい。

引きこもり支援業者の横暴が放置されてる世の中って異常じゃね?

僕はニートや引きこもりに対して怒りや敵意を抱いたことがない。
社会のレールに乗っていた時期から今に至るまで一貫してそうだ。
軽蔑すらしなかった。


もちろん、同属をわざわざ攻撃したくないという心理も働いている。
自分がニートや引きこもり側の人間であることは学生時代から察していた。
だが、なによりも彼らに割を食わされている実感が全く抱けなかったことが根っこにある。

「本人の自由なんだからいいじゃん」

それが嘘偽らざる本音だった。
ある意味、寛大とも言える僕のこの態度は地獄のサラリーマン生活においても揺るがなかった。
考えてみれば当然だ。
ニートや引きこもりが労働の土俵から降りていることと、僕が会社でストレスを受けていることのあいだになんら因果関係はない。


同年代の社会人がニートに憤るのが不思議でならなかった。
そして、社会人でありながらニートに対して肯定的なスタンスを取り続ける僕は時に不気味がられ、怒りの矛先を向けられた。

「なんでも自由なわけじゃねえぞ。勤労の義務を放棄してるニート憲法違反だ」

「いや、憲法は国家権力を縛るもんだからニートには関係ねえぞ」

「そんなん聞いたことねえよバカ

"バカ"の一言で切って捨てられ呆然としたことをよく覚えている。
書籍を通じて僕に憲法の手ほどきをしてくれた小室直樹は間違っていたというのか。
ニートの彼らはより良い社会を実現させるためにあえて事実を無視したのだろうか。
そんなふうに僕は混乱してしまったのだ。


今にしてみれば見当違いも甚だしい。
ニート思想の源泉は拍子抜けするほど単純。

"あいつら気に食わねえ"

これだけ。
憲法がどうとか、社会不安がどうとかは全部後付けだ。
そして、ニートへの口撃を彼らが始めるきっかけはもっと単純。
満員電車で足を踏まれた、昇進が遅れた、小便が足にかかった……もはや理屈ではない。


「社会参加は絶対的な善。反ニートは正義」


こんなおっかない大前提がいつの間にかでっち上げられてしまっているのだ。
"本人の自由なんだからいいじゃん"の合理性ををまだ潰せていないのにもかかわらず。


引きこもり支援業者なるものがあるらしい。
親の依頼を受けた業者が引きこもりを家から無理やり連れだし、望まぬ労働を強いるので問題になっているという。
その乱暴な手口が違法かどうかはひとまず脇に置くとしよう。


僕がマズいと思うのは、そういう支援業者が引きこもりを家から叩き出し働かせることしか目指していないという点だ。
現在、日本には100万人以上の引きこもりがいる。
心身の状態や能力を鑑みて、その時点では「ひとまず働かない」ことが最善の手となる人間だっているはずなのだ。
それにもかかわらず、有無を言わさずの強制連行からの強制労働。
もはや、自立支援は単なる建前で引きこもりへの人権侵害を原動力に商売しているとしか思えない。


そして、そんなメチャクチャを許しているのは「社会参加は絶対的な善。反ニートは正義」というハチャメチャな大前提ではないだろうか。
この大前提が世の中から消えない限り、自立支援業者が社会的制裁を受ける日はこないだろうと暗い気持ちになる。


ここからは余談。
そんな業者に数百万円も払うならタクシー会社勧めたほうが絶対いいよ。
金払うどころか入社支度金数十万円もらえるし。
日当貰いながら研修受けて二種免許取らせてもらえるし。
なによりニートや引きこもりに向いてる仕事だし。

人生ハードモード。就活は「死ぬか地獄を見るか」の二択のミッション

新卒時、僕は就職活動に成功した。
いや、成功なんて表現は大仰か。
とりあえず、就職留年せずにどうにか内定を確保できた。


就職氷河期の真っ只中だったことを考えれば、我ながらよくやったと思う。
大学4年の秋になってもリクスーを脱げずにいるクラスメートは多くいた。
ただ、その道のりはスマートとは程遠かった。
僕は内定を獲得するまでに一次面接17連敗を経ていたからだ。


当時、就活生のあいだではこんな噂がまことしやかにささやかれていた。

「一次面接ではほとんど落とされない。『ヤバい奴』の足切りでしかない」

この噂は多分正しい。
実際、僕は1年足らずでサラリーマン社会から脱落したし、その後のブランクも長期に及んだ。
きっと、面接官たちは僕が会社員としてやっていけるとは到底思えなかったのだろう。
今となってはその慧眼を認めざるを得ない。


僕を『ヤバい奴』たらしめる要素。
その最たるものは労働意欲の低さだろう。
当時から勘付いてはいた。

確かに、周りを見れば僕に限らず怠惰でルーズで覇気のない連中はゴロゴロいた。
表面的には同類に見えなくもない。
ただ、そんな彼らですら僕とは決定的に違った。

彼らは"条件付きで"前を向いていたのだ。

広告代理店に入ればアイドルと楽しく仕事ができそう。
大好きなサッカーに携われる仕事ならやっていけそう。
兄弟のように仲が良い先輩が勤めるあの会社なら入社したい。

理由は違えども、皆どこかに自分なりのオアシスが必ずあると信じていた。
説明会をブッチしようが、ノープランで面接に臨もうが、労働そのものに舌打ちしていようが、意欲自体が死に絶えているわけではなかった。
ふたを開けてみれば、彼らは一次面接で善戦していた。
『ヤバい奴』のラベリングは適さないだろう。


一方の僕はオアシスの実在すら信じられず、徹底的に後ろ向きだった。
どんな会社だろうが到底勤まる気がしなかった。
死ぬか地獄を見るかの二択でどうにかして地獄を探り当てるミッション。
僕にとって就活はそれほど救いがなかった。


僕の怯えや消極性が如実に表れたのは会社探しだろう。
周りの学生が合同説明会に参加するなか、僕は自室でひたすらリクナビの検索窓にワードを打ち込んでいた。

"160日"……0社
"159日"……0社
"158日"……0社

そう、僕はなによりもまず休日日数で企業をふるいにかけていたのだ。
他のどの条件よりも重要視した。

どうせ職場に馴染めないのならせめて1日でも多く家にいたい。
そんな切なる願いを胸に捻り出した生存戦略だった。

次に社員紹介ページを見る。
ゴルフ焼けした恰幅の良い男が一人でも写っていれば別の会社を探す。
こんなことをひたすら繰り返していた。


やはり僕は根っからの社会不適合者なのだろう。
あるとき、このスクリーニング法を仲間に明かしたとき、札付きのダメ人間キャラの奴でさえ軽く引いていた。
柄にもなく「そんな考えでいいのか?」と。


ただ、その場で理解を示してくれた人間がたった一人だけいた。
リュウちゃんという男だ。
あだ名の由来は「二留」の留。同学年ながら僕より二歳年上だった。
彼は「その手があったかあ‼」と大興奮しっ放しで周囲をドン引きさせていた。


今振り返っていれば、象徴的な出来事だったように思う。
リュウちゃんは卒業と同時にニートになり、他の仲間は皆無事にサラリーマンとなった。
僕のネガティブな姿勢に対する反応で将来が正確に占えていたというわけだ。


その後、僕も案の定ニートになった。
あの内定は神様のいたずらに違いない。

『出会って4分で内々定』あの長いニート生活はなんだったのか

これまでの人生において僕が一番頭を使っていた時期。
それは受験生時代でも、サラリーマン時代でもなく、間違いなくあのニート時代だった。
脳ミソをオーバーヒート寸前まで回転させ、有り余る時間を使い尽くしていた。
家からほぼ一歩も出ずにだ。


一発逆転を目論み資格試験の勉強に打ち込んでいたとかいうわけではない。
自分の社会復帰がいかに困難であるかを頭のなかで徹底的に確認し続けていたのだ。


年齢、空白期間、市場価値、メンタル、人間関係構築能力、挙動……あらゆる要素から自己分析を行う。
そうしてあらわになった自己像を、就活で連戦連敗したり、職場で力不足を感じたり、孤立したりした過去の経験にぶつける。
最後に「自分の社会復帰は不可能。根拠は~」などと脳内で長々と論を張る。
一晩中でも語り続けられるほど長々と。


来る日も来る日も、部屋に閉じこもって僕はそんなことをしていた。
当然、絶望的な気分になるし、頭がカーッと熱くなったりもする。
なのに、妙な達成感やカタルシスも覚えるのだから一種の自傷行為に近かったと思う。


……どっこい、僕は社会復帰を果たした。
地獄のニート時代が帳消しになったと思えるほどには充実した日々を送れている。
"社会復帰不能論"は単なるマイナス思考の産物とでもいわんばかり。


だが、僕はあの自己分析が正確だったと今でも考えている。
精神的に不安定な時期だったことを考慮してもである。
やはり、普通の就職活動では脱ニートは困難だったろうし、上手いこと会社員に戻れたとしても潰れていたに違いない。
タクシー運転手という仕事を発見し、一発ツモできたことがとにかく幸運だったというだけなのだ。


つまり、タクシー運転手という仕事では筋金入りの社会不適合気質が帳消しにされるということだ。


つくづく特殊な業界だと思う。
今僕が所属するタクシー会社の面接からして驚きの連続だった。

「どうしてタクシーがいいの?」

履歴書を一瞥してコワモテの営業所長が切り出した。
久々の外出太陽光でヘトヘトに疲れ切っていた僕は無防備にもこう答えた。

「ずっとニートやっててもうお金がなくなりました」

頭がぼんやりしていたとはいえ、この志望動機はありえなかったと思う。
社会常識から完全に逸脱している。
普通の会社の面接なら割とマジのお説教をされるか、不快感たっぷりの嫌味が飛んでくるのがオチだろう。
だが、所長は表情一つ変えなかった。

「じゃあいい時期だな。これで内々定出すんだけど何か訊きたいことある?」

「えっ、もういいんですか?」

「うん。時間あるからなんでも質問していいよ」

面接開始からたった4~5分での内々定
約10年ものあいだ止まっていた時計の針はあっけなく動き出した。
この予想を超えた事態でようやく頭に血がめぐってきた。

僕はここぞとばかりに所長を質問攻めにした。
人間関係、メンタルヘルス、過労死、酷い客……そういうデリケートな問いでも遠慮なくぶつけた。
所長は嫌な顔一つせずなんでも答えてくれた。


なかでも印象的だったのは年収について。
所長は"できる子で800万、できない子で250万"と言っていた。
いかにも成果主義賃金体系らしい格差だと思った。

「稼げる人と稼げない人でなにがそんなに違うんですか?」

「年収800万の子はねえ……あれはもう才能だね。教えてできることじゃない」

きっと僕はこれから"できない子"になってしまうのだろう。
金が絡む競争には全く不向きな自覚があった。
いわんや完全歩合制をや、である。

「やっぱり技術とかやる気がないと全然稼げませんか?」

「いや、そういうことでもなくてねえ」

所長はばつが悪そうに視線をそらした。

「やる気なくなると途中でパチンコ行っちゃう人もいるからさあ。昼でも仕事あがって家帰っちゃったり」

「そ、そういうのはいいんですか?」

「うちではね。良くも悪くも自分で判断する仕事だからさ」

最高じゃないですか!!
心のなかで僕は叫んでいた。


こうして僕は社会復帰した。
求人を見つけてから数日、面接開始から数分でニート生活に終止符が打たれた。


一般的な組織、特に企業などにおいて「自由」には巧妙な細工が施されている。
例えば、平日温泉旅行を満喫し惨憺たる成績に終わった投資マンション営業マンが「今月俺は月収15万で満足なんだよ!」などと吠えれば、真っ黒に日焼けした上司にしばき倒されてしまう。
「自由」はあくまで成果のリワードとして存在するという仕掛けがあるのだ。


この仕掛けがニートの社会復帰にとって厄介なものとなる。
通常、ニートが享受している自由は対価に基づかない「純な自由」だ。
「自由」とは似て非なるものである。


ニートが無理なく労働世界へ軟着陸するために用意されるべきは「純な自由」であり、「自由」では決してない。
だから、フレックスタイム制やリモートワークなどの文言には警戒心を持っておいて損はない。
あれらは対価に基づいた自由の産物であり、相当高度な働き方だ。


「純な自由」のもとではニートの社会不適合気質は充分紛れる。
そして、タクシー業界には「純な自由」が約束された会社が珍しくない。

どうか将来もこの風土が失われないでほしい、僕はそう強く願う。

コミュ障の僕でも問題なく務まる世にも奇妙なタクシー業界

ニートからタクシー運転手へと舵を切るにあたって不安がないわけではなかった。
というか、不安しかなかった。
なにせ、この仕事に関するネガティブ情報が世の中に溢れすぎていた。


タクシー運転手への暴行事件が年に一度はワイドショーで取り上げられ話題になる。
死に物狂いで働いて初めて生きていけるだけの給料がもらえる、なんていう現役ドライバーによる告発記事をネットで見たことも。


要するに「甘くないぞ」というわけだ。
実際、僕はタクシー業界に飛び込んだが最後、地獄のように辛い毎日を送るハメになるのではとある程度覚悟していた。


特に懸念したのは自分自身のコミュニケーション能力について。

思い返すのも未だに苦しいのだが、僕はサラリーマン時代、社内の人たちから凄まじく嫌われていた。
それこそ四面楚歌と言っていいほどに。


入社して5カ月足らずのある日、僕の後ろで先輩二人がこんな会話をしているのを耳にした。

「あいつにお盆休みどっか行った? って聞いたら『いえ、特には……』だとよ」
「ああ……やっぱ『死ね』だわ」

あの苦々しげな、敵愾心むき出しのトーンは今でも耳にこびりついて離れない。
僕に向けられたヘイトであることは嫌でもわかった。
槍玉に挙げられていたのは、ほんの数十分前にまさに自分と交わしたやり取りだったからだ。

そして、先輩二人のこの会話は僕にはっきり聞こえるようなボリュームで交わされていた。
今振り返ってみると、もうこの時点で僕は社員の敵として見切りをつけられていたのではないかと思う。


会社で人の輪に溶け込めていない自覚はあった。
僕との会話が一往復か二往復で終わってしまい、同僚はよく困り顔をしていた。

それでも、日本語文法的に誤謬のない応答をしている以上、まさか嫌悪感を抱かれることなどないはずだと安心し切っていた。
残念ながら現実はそうではなかった。
この出来事は僕にとってあまりにもショックで、以降、全く同じ場面がよく夢に出てくるほどだった。


果たして、年が明けた頃になると、僕は周りの人たちから挨拶を完全に無視される唯一の存在となっていた。
『おはよう、お疲れさまです、は和の基本』をスローガンに掲げていた職場においてこの扱いはよっぽどのことだったろう。


ほどなくして僕は逃げるように退職した。


自分では問題がないと思っているやり取りで、周囲の人間を不快にさせてしまう。
この惨めな経験で、僕は自分の『コミュ障』を強烈に思い知った。


タクシー会社の求人ページには、一般的な会社のそれと同じように「求める人材像」といった項目が設けられている。
内容はどこも似たり寄ったりで、『人と話すのが好きなかた』とか『コミュニケーション能力を発揮されたいかた』などと記されている。


タクシー運転手は運輸業であると同時にサービス業でもある。
対人折衝能力が要求されるのも無理からぬことだろう。


そうした情報に触れて、自分はこの仕事への適性を著しく欠いているに違いないと感じた。
人手不足の業界ゆえに内定こそあっさり取れたが、この先到来するであろう受難を想像して僕は入社までのあいだ震え上がっていた。


悪気なく発した言葉でお客さんを激怒させる。

会社にクレームが入り肩身が狭くなる。

人を乗せるのが怖くなり売上が壊滅する。


さもありなんといった感じの無様な行く末。
この仕事もせいぜい半年そこらしか続かないだろう。
当時の僕の率直な見通しだった。


そんな憂鬱のなかで迎えた初乗務の日のことは忘れられない。


人生最初のお客さんは裕福そうな身なりの高年男性。
早朝、営業所を出てすぐのところでいきなり手が上がった。

「おはようございます」

緊張で僕の口はカラカラに渇いていた。

「どちらまで行かれますか?」

洗練とは程遠い、研修のロールプレイそのままの一本調子。
我ながら新人丸出しだと思った。


男性は2kmも離れていないところにある近隣の駅を行き先に告げた。
地理不案内な当時の僕でも辛うじてたどり着ける場所だ。
幸いにも、出口が一つだけの駅だったので停車場所に迷うこともない。
これがデビューであることを考えれば、願ってもない目的地といえよう。


それなのに、出発するやいなや僕は平静さを失った。
ハンドルを握る両手にじっとりと汗をかき、胃がキリキリと痛んだ。
緊張でルートをド忘れしたなどというわけではない。
車内に漂う沈黙にすっかり動転してしまったのだ。


このとき、前職での辛い記憶が僕の脳裏をよぎっていた。
取引先へ向かう道すがら、世間話の一つもしようとしない僕に対して先輩は雷を落とした。
沈黙は無礼、そんなお説教を新橋駅のホームで直立不動のまま聞かされた。


……このお客さんだって突然激怒し始めてもおかしくない。


なんでもいいからとにかく喋らなければ。
いや、よっぽど発言に気を付けなければ舌禍を招くぞ。


内なる二つの声がぶつかり合い、僕は悩みに悩んだ。
十分足らずの所要時間をこれほど長く感じたことは後にも先にもない。

結局、出発してから僕はなんら言葉を発せぬまま目的地付近まで来てしまった。

その時である。

「君いいねえ」

お客さんが静寂を破った。

「次から君がいいなあ」

あまりに唐突な言葉だった。
呆気に取られる僕のことなどお構いなしにお客さんはこう続けた。

「名刺もらえる? 名刺持ってない?」
「すいません、名刺ないんですよ……」

法人タクシーの運転手は基本的に名刺を与えられない。
名刺営業はタクシー会社の内規に反しているからだ。

「そうかあ。でも、きっとこのへんでいつも営業してるでしょ?」
「そうですねえ……ええ、はい」
「じゃあそのうち会えるな」

そんな会話を交わしているうちに駅に到着。
清算を済ますとお客さんは「じゃあまた」と笑顔で車から降りていった。


これはどういうことなんだ?
僕の頭はすっかり混乱してしまっていた。


後に知ることとなるが、これは俗に言う「指名」というものだった。


タクシー利用時に固定の運転手を据えたいと考える人は珍しくない。
その多くは通勤病院通いなどで頻繁にタクシー移動をする人たちだ。
配車の電話が繋がりにくいから、気に入った運転手が現れたから、理由は様々。
運転手と直に繋がる携帯番号さえ手に入れば、タクシーの使い勝手が格段に良くなるのだ。


僕が名刺を求められたのはまさにこのためだった。
しかも、降り際のやり取りから察するに、恐らくあのお客さんは僕のことを気に入ってくれたのだろう。
一体こんな運転手のどこが良くて……全く心当たりがなく、僕は喜ぶどころかひたすら混乱していた。


驚くべきことに、「指名」はこのとき限りでは終わらなかった。
以降、1カ月に二人くらいのペースで僕はお客さんから名刺を求められた。
車内では相変わらず沈黙を貫いていたのにもかかわらずである。
ちなみにクレームとも無縁でいた。


信じられなかった。
サラリーマン時代と同じ目に遭うどころか、真逆の結果となっている。
僕の訥弁無愛想はなんら変わっていないというのに。


この奇妙な現象を解明してくれたのは同僚運転手の中村さんだった。

「普通だよ、普通」

咥えタバコでスマホゲームに興じながら、なんてことないといった調子で言った。

「みんな名刺くれくれ言われんだよ」
「でも、お客さん乗っけてるとき僕全然喋んないですよ? ほんとにルート確認くらいで」
「関係ねえよ。指名したいっつったの短けえ客ばっかだったろ」

確かにその通りだ。
記憶にある限りでは、一番遠い行き先のお客さんでも3,000円ほどの運賃だった。

「往復2万とかそういうの定期的にある客だったらこっちも必死よ。でも5,000円そこらじゃ誰も名刺渡したがらねえんだって
「えっ、5,000円って美味しくないですか?」

僕の言葉を聞いた中村さんは顔を上げて鼻で笑った。

「バカ、時間効率考えたら売上死ぬわ! 片道30分かかるとこにいても電話来たら『迎車』いれて客んとこ行かなきゃいけねえんだぞ」
「まあそっか……」
「それにハイヤー使ってんじゃねえんだから接客なんてうるさく言われない。挨拶して、ルート確認して、安全運転ならケチつけられねえよ

それら三つの要素を僕はクリアできていた。
挨拶は欠かさないし、目的地まで複数の行き方がある場合はその都度確認するし、交通ルールも杓子定規に守っている。

「あと、お前タクシーのなかじゃ相当若えからな。真面目そうに見えるし、使いたくなるんだろ」

僕はこの時、タクシー業界が特殊な世界だということを理解した。
当たり前のことを当たり前にこなせていれば問題にならない。
そして、その当たり前の範囲が極めて限定的。


こんな業界はそうそうないだろう。


それからしばらく経ったある日。
朝の出発前の点呼で管理職がこんな話をした。

「今週、うちの営業所は無事故無違反の素晴らしい週でした。ただねえ、残念ながらクレームが物凄く多い
「ある乗務員さん、雑談中に良かれと思って言ったことでお客様を怒らせちゃいました」
「楽しくお話することは良いことなんですよ? でも、どんな発言がお客様の逆鱗に触れるかわからない」
「もうね、よっぽどのことがない限りこちらから話振ることないです。藪蛇になっちゃいますからね」


この仕事は一年くらい続けられるかもしれない。
僕は少し胸が軽くなったような気がした。

約10年もニートをしていたけど社会復帰はあまりに簡単だった

「あの地獄のようなニート時代は悪い夢だったんじゃないか」


そんなふうに思うことがよくある。


のべ10年弱もニート生活を続けてしまった僕が、ある日突然、生活自助できるようになり、今日まで楽しい日々を過ごせている。


なんの努力もせずにタクシー運転手として社会復帰できた。
そして、なんの努力もせずにノンストレスでこの仕事を続けてこられた。


ニート時代の末期ではいよいよ自殺寸前まで追い込まれていたのにもかかわらずである。


さながら、異世界転生を果たしたかのよう。
非科学的で馬鹿げていることは承知だが、僕は割と本気でそう信じている。


それもある意味当然と言えよう。
僕自身の能力や精神性はニート時代と比較してこれっぽっちも変わっていないからだ。


僕はベットリ汚れた便所紙のほうがまだ綺麗に見えるクソ以下の履歴書を携えタクシー会社の面接に臨み、年齢相応の老成を逃したことによる幼児性丸出しな発言を営業所長に繰り返し、簡単なアルバイトすらままならぬ低スペックそのままで採用され社会復帰し、艱難辛苦とは無縁の今に至る。
ザックリ言えばこういう道をたどってきたということになる。


例えば、『アリとキリギリス』における教訓を信じるならば、こんな甘いシナリオは僕の人生に用意されていないはずだった。

”怠け者は自らがこさえたツケを必ず払わされる”

良識派の皆さんが大好きな、救いのないあの教訓だ。


何年も何年も人間や社会に怯え、雨戸の閉じた部屋で雌伏の時を過ごしてきた僕は、ついに自殺を決行するとか、タコ部屋送りになるとか、そんな悲惨な末路を迎えるのが妥当なところだったろう。


実際、社会や世の中の人たちが僕のような落伍者に破滅的な総決算を求めていることを感じる場面が多々あった。

新卒で入社した会社(※一瞬で辞めた)の元上司はあるとき飲み会の席で「なんでニートが死刑にならないのか理解できない」と唸っていた。

どこまで本気かわからないが、僕は2chなんかで福島原発の除染作業はニートに強制的にやらせろ』だとか、ニートを飼ってる親は責任とって一家心中しろ』だとかいう書き込みをこれまで100回は見ている。


悲しいことに、ニートはこれほどまでに「不道徳」で「反社会的」と見做されているのだ。
ほとんど凶悪犯罪者と同じような扱いと言ってもいいだろう。


これではニートの社会復帰は困難になるはずだ。
多くの人々から破滅を切望される存在にわざわざ雇用を与える使用者はそうそういるもんじゃない。


では、なぜ僕はすんなりと社会復帰を果たし、なんの苦労もなく平和な毎日を過ごせているのか?


それは、

タクシー運転手がニートにうってつけの仕事だから。

いささか乱暴な答えだが心からそう思う。


繰り返しになるが、僕はニート時代と今とでなんら変わっていない。
能力、性格、体力、コミュ力、労働意欲……あらゆる要素が悪い意味で変わっていない。根っからの社会不適合者のままなのだ。
もし仮に、これから僕がタクシー運転手から足を洗い普通のサラリーマンになったとしたら、3か月そこらで完全に潰れるはずだ。心身ともにズタボロになって。


そんな僕だというのに今の仕事は難なくこなせている。
はっきり言うと、タクシー運転手をやっていて自分の無能を感じたことは一瞬たりともない。


別に僕が脱ニートを果たして傲慢な男になったというわけではない。
タクシー運転手という仕事があまりにもイージーなだけなのだ。
同僚たちも「こんな楽な仕事はない」とよく言っている。


裏を返せば、世間における大半の仕事があまりにも苛烈ということだ。


今や労働のあらゆる無駄が省かれ、最適化に向かっている。
賃金1単位あたりに求められる成果や、それに伴って生じる苦痛がどんどん大きくなっている。
気が付けば、喫茶店やゴルフ練習場で平日午前を費やすサラリーマンは絶滅危惧種だ。


そんな汲々とした社会において、タクシー運転手は相変わらず気楽な稼業のまま。
少なくとも僕の所属するタクシー会社はそうだ。


勤務時間中に雀荘へ行くのも、自宅で昼寝するのも自由。
とんでもなく酷い客となら大喧嘩しても問題にならない。
管理職が運転手の売上の悪さを咎めようものなら「歩合給だろうが‼ ふざけたこと言ってんじゃねえぞ‼」とどやしつけられる。


サラリーマンの流儀しか知らなかった僕はこの世界に飛び込んだとき、唖然とすると同時に感動を覚えた。
タクシー業界は3K(キツい、汚い、危険)として敬遠されているが、徹底的にフェアで自由なカルチャーを美しいとすら思った。


理不尽や我慢がオミットされた世界。
タクシー運転手ほど『雑』『楽』が放置されている商売はほとんどないだろう。
この仕事を丸1年やって身に染みてわかった。


だから、僕はタクシー運転手という仕事を自信を持って人に薦められる。
特にニートの社会復帰にはおあつらえ向きだ。


好都合なことに、タクシー業界は慢性的な人手不足に陥っているため運転免許さえ持っていれば誰でも採用される。
誇張ではなく、本当に誰でも採用されてしまう。
いつかこのブログに書こうと思うが、僕の同僚には刺青が入っている人も、前科持ちもゴロゴロいる。


たかだがニートごときでは経歴上の傷にならないとでもいわんばかりの特殊業界なのだ。


タクシー運転手として食べていくにはニートのスペックで充分すぎる。
なんの付加価値もない人間が、なんの努力もせず、なんの苦労も味わわず、人並みかそれ以上に稼ぐことができる世にも珍しい仕事だ。


つまり、僕は「タクシー運転手になる」という決断をしたからこそ平穏無事な日々を手に入れることができたのだ。
逆に、タクシー運転手という選択肢があることを僕はずーっとずーっと気づけずにいたから、10年弱に渡って暗黒時代を過ごすはめになったとも言える。


だから、僕はこのブログを通じてタクシー運転手という仕事や楽しい脱ニートライフについて発信していこうと思う。
地獄のニート生活を抜け出せずにいるかつての僕のような人たちがこのブログを読んで気楽に社会復帰できてくれたら物凄く嬉しい。


最後に去年の僕へ、
自殺するくらいならタクシー運転手になれ。お前、毎日笑ってるぞ。