LIFE LOG(ここにはあなたのブログ名)

タクシーで社会復帰できた元高齢ニートのブログ

首吊り10秒前くらいのギリギリのところですんなり社会復帰できました。

コミュ障の僕でも問題なく務まる世にも奇妙なタクシー業界

ニートからタクシー運転手へと舵を切るにあたって不安がないわけではなかった。
というか、不安しかなかった。
なにせ、この仕事に関するネガティブ情報が世の中に溢れすぎていた。


タクシー運転手への暴行事件が年に一度はワイドショーで取り上げられ話題になる。
死に物狂いで働いて初めて生きていけるだけの給料がもらえる、なんていう現役ドライバーによる告発記事をネットで見たことも。


要するに「甘くないぞ」というわけだ。
実際、僕はタクシー業界に飛び込んだが最後、地獄のように辛い毎日を送るハメになるのではとある程度覚悟していた。


特に懸念したのは自分自身のコミュニケーション能力について。

思い返すのも未だに苦しいのだが、僕はサラリーマン時代、社内の人たちから凄まじく嫌われていた。
それこそ四面楚歌と言っていいほどに。


入社して5カ月足らずのある日、僕の後ろで先輩二人がこんな会話をしているのを耳にした。

「あいつにお盆休みどっか行った? って聞いたら『いえ、特には……』だとよ」
「ああ……やっぱ『死ね』だわ」

あの苦々しげな、敵愾心むき出しのトーンは今でも耳にこびりついて離れない。
僕に向けられたヘイトであることは嫌でもわかった。
槍玉に挙げられていたのは、ほんの数十分前にまさに自分と交わしたやり取りだったからだ。

そして、先輩二人のこの会話は僕にはっきり聞こえるようなボリュームで交わされていた。
今振り返ってみると、もうこの時点で僕は社員の敵として見切りをつけられていたのではないかと思う。


会社で人の輪に溶け込めていない自覚はあった。
僕との会話が一往復か二往復で終わってしまい、同僚はよく困り顔をしていた。

それでも、日本語文法的に誤謬のない応答をしている以上、まさか嫌悪感を抱かれることなどないはずだと安心し切っていた。
残念ながら現実はそうではなかった。
この出来事は僕にとってあまりにもショックで、以降、全く同じ場面がよく夢に出てくるほどだった。


果たして、年が明けた頃になると、僕は周りの人たちから挨拶を完全に無視される唯一の存在となっていた。
『おはよう、お疲れさまです、は和の基本』をスローガンに掲げていた職場においてこの扱いはよっぽどのことだったろう。


ほどなくして僕は逃げるように退職した。


自分では問題がないと思っているやり取りで、周囲の人間を不快にさせてしまう。
この惨めな経験で、僕は自分の『コミュ障』を強烈に思い知った。


タクシー会社の求人ページには、一般的な会社のそれと同じように「求める人材像」といった項目が設けられている。
内容はどこも似たり寄ったりで、『人と話すのが好きなかた』とか『コミュニケーション能力を発揮されたいかた』などと記されている。


タクシー運転手は運輸業であると同時にサービス業でもある。
対人折衝能力が要求されるのも無理からぬことだろう。


そうした情報に触れて、自分はこの仕事への適性を著しく欠いているに違いないと感じた。
人手不足の業界ゆえに内定こそあっさり取れたが、この先到来するであろう受難を想像して僕は入社までのあいだ震え上がっていた。


悪気なく発した言葉でお客さんを激怒させる。

会社にクレームが入り肩身が狭くなる。

人を乗せるのが怖くなり売上が壊滅する。


さもありなんといった感じの無様な行く末。
この仕事もせいぜい半年そこらしか続かないだろう。
当時の僕の率直な見通しだった。


そんな憂鬱のなかで迎えた初乗務の日のことは忘れられない。


人生最初のお客さんは裕福そうな身なりの高年男性。
早朝、営業所を出てすぐのところでいきなり手が上がった。

「おはようございます」

緊張で僕の口はカラカラに渇いていた。

「どちらまで行かれますか?」

洗練とは程遠い、研修のロールプレイそのままの一本調子。
我ながら新人丸出しだと思った。


男性は2kmも離れていないところにある近隣の駅を行き先に告げた。
地理不案内な当時の僕でも辛うじてたどり着ける場所だ。
幸いにも、出口が一つだけの駅だったので停車場所に迷うこともない。
これがデビューであることを考えれば、願ってもない目的地といえよう。


それなのに、出発するやいなや僕は平静さを失った。
ハンドルを握る両手にじっとりと汗をかき、胃がキリキリと痛んだ。
緊張でルートをド忘れしたなどというわけではない。
車内に漂う沈黙にすっかり動転してしまったのだ。


このとき、前職での辛い記憶が僕の脳裏をよぎっていた。
取引先へ向かう道すがら、世間話の一つもしようとしない僕に対して先輩は雷を落とした。
沈黙は無礼、そんなお説教を新橋駅のホームで直立不動のまま聞かされた。


……このお客さんだって突然激怒し始めてもおかしくない。


なんでもいいからとにかく喋らなければ。
いや、よっぽど発言に気を付けなければ舌禍を招くぞ。


内なる二つの声がぶつかり合い、僕は悩みに悩んだ。
十分足らずの所要時間をこれほど長く感じたことは後にも先にもない。

結局、出発してから僕はなんら言葉を発せぬまま目的地付近まで来てしまった。

その時である。

「君いいねえ」

お客さんが静寂を破った。

「次から君がいいなあ」

あまりに唐突な言葉だった。
呆気に取られる僕のことなどお構いなしにお客さんはこう続けた。

「名刺もらえる? 名刺持ってない?」
「すいません、名刺ないんですよ……」

法人タクシーの運転手は基本的に名刺を与えられない。
名刺営業はタクシー会社の内規に反しているからだ。

「そうかあ。でも、きっとこのへんでいつも営業してるでしょ?」
「そうですねえ……ええ、はい」
「じゃあそのうち会えるな」

そんな会話を交わしているうちに駅に到着。
清算を済ますとお客さんは「じゃあまた」と笑顔で車から降りていった。


これはどういうことなんだ?
僕の頭はすっかり混乱してしまっていた。


後に知ることとなるが、これは俗に言う「指名」というものだった。


タクシー利用時に固定の運転手を据えたいと考える人は珍しくない。
その多くは通勤病院通いなどで頻繁にタクシー移動をする人たちだ。
配車の電話が繋がりにくいから、気に入った運転手が現れたから、理由は様々。
運転手と直に繋がる携帯番号さえ手に入れば、タクシーの使い勝手が格段に良くなるのだ。


僕が名刺を求められたのはまさにこのためだった。
しかも、降り際のやり取りから察するに、恐らくあのお客さんは僕のことを気に入ってくれたのだろう。
一体こんな運転手のどこが良くて……全く心当たりがなく、僕は喜ぶどころかひたすら混乱していた。


驚くべきことに、「指名」はこのとき限りでは終わらなかった。
以降、1カ月に二人くらいのペースで僕はお客さんから名刺を求められた。
車内では相変わらず沈黙を貫いていたのにもかかわらずである。
ちなみにクレームとも無縁でいた。


信じられなかった。
サラリーマン時代と同じ目に遭うどころか、真逆の結果となっている。
僕の訥弁無愛想はなんら変わっていないというのに。


この奇妙な現象を解明してくれたのは同僚運転手の中村さんだった。

「普通だよ、普通」

咥えタバコでスマホゲームに興じながら、なんてことないといった調子で言った。

「みんな名刺くれくれ言われんだよ」
「でも、お客さん乗っけてるとき僕全然喋んないですよ? ほんとにルート確認くらいで」
「関係ねえよ。指名したいっつったの短けえ客ばっかだったろ」

確かにその通りだ。
記憶にある限りでは、一番遠い行き先のお客さんでも3,000円ほどの運賃だった。

「往復2万とかそういうの定期的にある客だったらこっちも必死よ。でも5,000円そこらじゃ誰も名刺渡したがらねえんだって
「えっ、5,000円って美味しくないですか?」

僕の言葉を聞いた中村さんは顔を上げて鼻で笑った。

「バカ、時間効率考えたら売上死ぬわ! 片道30分かかるとこにいても電話来たら『迎車』いれて客んとこ行かなきゃいけねえんだぞ」
「まあそっか……」
「それにハイヤー使ってんじゃねえんだから接客なんてうるさく言われない。挨拶して、ルート確認して、安全運転ならケチつけられねえよ

それら三つの要素を僕はクリアできていた。
挨拶は欠かさないし、目的地まで複数の行き方がある場合はその都度確認するし、交通ルールも杓子定規に守っている。

「あと、お前タクシーのなかじゃ相当若えからな。真面目そうに見えるし、使いたくなるんだろ」

僕はこの時、タクシー業界が特殊な世界だということを理解した。
当たり前のことを当たり前にこなせていれば問題にならない。
そして、その当たり前の範囲が極めて限定的。


こんな業界はそうそうないだろう。


それからしばらく経ったある日。
朝の出発前の点呼で管理職がこんな話をした。

「今週、うちの営業所は無事故無違反の素晴らしい週でした。ただねえ、残念ながらクレームが物凄く多い
「ある乗務員さん、雑談中に良かれと思って言ったことでお客様を怒らせちゃいました」
「楽しくお話することは良いことなんですよ? でも、どんな発言がお客様の逆鱗に触れるかわからない」
「もうね、よっぽどのことがない限りこちらから話振ることないです。藪蛇になっちゃいますからね」


この仕事は一年くらい続けられるかもしれない。
僕は少し胸が軽くなったような気がした。